南極に行きたい変わりもの

学校行事の引率なんかでは、
え?荷物それだけですか!?
ってビックリされるくらい旅の荷物はコンパクトな方だが、今回のお出かけは流石にそうはいかない。
いつもの旅行のように、いざとなればどっかで買えばいいし!という保険もきかない。
まず1年4カ月ぶんのお菓子を考えた時、なければ食べなくて済むのに、なくなった時の悲しさを考えると、大量購入クリックする手が止まらない。。
賞味期限なんてロンモチ気にしない。
気にしてたら何も買えない。だいたい、今売ってるお菓子の賞味期限は2018年。2019年までもつお菓子なんて皆無。
南極は菌が繁殖しにくいから、、
ものも腐りにくいから、、
そう自分に言い聞かせ、大好きなチョコ菓子ばっかり、アホほど買いまくった。
6年前の教員派遣で南極へ行った時には、驚異のティムタム一本食い(http://d.hatena.ne.jp/tna3yko/20120126/1327610377参照)など、意味不明なほどに甘いものが欲しくなり、持って行ったお菓子はすぐに底をついた。周りの人たちにチョコをめぐんでもらってなんとか帰国したが、今回は余裕のチョコ生活を送りたい。
大好きな大阪名物呼吸チョコをはじめ、甘いお菓子ばっかりでダンボール3箱ぶんくらいになった。
足りるかしら、、、(ブヒ)

船内に持込める私物の量は1人あたりダンボール5箱と決められている。それにプラスして越冬隊は、12フィートコンテナの中に越冬生活用の私物を積み込むことができる。こちらには特に制限は設けられていない。
しかし、船から昭和基地に持って行ける荷物はみんな自重を含め100kg+ダンボール1箱と決められているので厳選が必要だ。
ちなみに自重だけで100kg近い人は軽そうなヒトとペアでヘリに乗るしかなく、荷物を持って100kgに達しない人と船の中で仲良くなる作戦を地味に繰り広げることになる。
夏隊の場合、5箱のダンボールのうち、昭和基地に降ろせる1個のダンボール以外は船にずーっと置きっ放し。
そして、越冬隊の船内私物と12フィートコンテナ私物は、他の観測物資などの積み下ろしが落ち着いた段階でやっと降ろされる。
なにせ、観測物資や建築資材、燃料や食料などなど、、持って行く荷物がハンパないのだ。



年に1回だけしか補給のチャンスがない、、ほんと昭和基地って僻地なんだなと思う。

そんな僻地に行きたがるのは、やっぱりそうとう変わってるみたい。
そんなことを実感する出来事が最近あった。

大学時代に遊び過ぎて運転免許を取り損ねた私は、現在、昭和基地でトラックに乗るため教習所通いをしている。
40過ぎのオバハンが今更マニュアル車の免許を取りにくることは不可解極まりなく、よく、教官に「なんで?」と聞かれる。
説明するのも面倒なので、いつもは適当に答えているのだが、先日、三人で路上を走った後にそれぞれの運転についてディスカッションをするという授業があり、時間も持て余していたので「なんでマニュアル?」というベタ質問に対し、「昭和基地でトラック運転するためです」と正直に答えてみた。
すると、いっしょに授業を受けていた大学生2人も教官も食いつきはよかったものの、そろって「オレは行きたくない」派宣言。

「なにがあるの?」とか
「日曜なにすんの?」とか、

することなさそうイメージな質問を受け、それに対するうまい答えが出てこなくて困った。

写真撮ったり、、
空見たり、、

うーん、なんか、聞こえがヒマそうだ。

自分的には全くヒマそうとは思っていないのだが、一般目線からすると、

買い物も行けない、、
テレビも見れない、、

これらは耐えがたいことのようだ。

たしかに昭和基地にはコンビニもテレビもないけど、

日本ではみたこともないような景色があるんです!
心が震えて何も言えなくなるような空があるんです!

こんな勝ち目なさそうな主張しかできなくて、どうも説得力がない。

みんなにわかってもらおうとは思わないんだけど、せめて、こんな世界があるんだってことぐらいは伝えていきたい。
日本の街中で日常生活送ってるだけでは、一生気づけないと思う。
気づくチャンスもないくらい変化のない毎日をよしとしている若者たちに、もっと好奇心を持ってもらいたい。
40過ぎても、まだ南極行きたいと思ってる変わったオバサンから若者に、「いまはやりたいことなくても、やりたいと思えばいくつになってからでもできるから」とメッセージを残し、ディスカッションの授業を終えたのだった。
私からすれば、テレビや買い物だけで満足しているヒトの方が、よっぽど変わってるんだけどなぁ。