あたりまえのせいかつ

ただいま。
あたりまえのせいかつ。

昨日、大阪のおうちへ無事に帰り着いた。
久しぶりに「鍵を開けて中へ入る」という行動をとる。
あぁ、ウチってこんなんだったなぁ・・・。

テレビをつける。
わぁ、テレビうつってる〜。生だ〜。
4ケ月ぶりに見るテレビ番組って新鮮な感じ。
ちなみに「スチュワーデス物語」はしらせで24話全部を見終えることができた。最終話を見終えたときには、昼ドラ部全員ハイタッチで盛り上がった。


数日前、フリーマントルへ降り立った時には、
もっとささいな感動もあった。

雪でも氷でもない…芝生の上を歩いてる、
樹がある、花がある、
犬が歩いている、露出度の高いおねーちゃんも歩いている、
虫がとんでる、虫がないてる、

こんなんだったなぁ・・・。

乗用車が走ってる、
車がウィンカー出してる、
電車が走ってる、
電車に乗るには切符がいる、
ご飯を食べたらお金を払う、
財布がいる

そうそう、こんなんだった。。。


一方で、
感動できなくなってしまったこと、
気づいてしまったことがある。

空の青だ。

4ケ月前、フリーマントルで空を見たときには、
快晴の青空に感動し、
海に沈む夕日とその夕焼け空にも感動した。

同じ空のはずなのに、
その青のくすみに気づく。
夕焼け空の色も違う。
こんなもんじゃないんだ…
地球の美しさって。

南極の空の青はすごい。
濃くって、遠くって、まぁるい…
そんな青。

昭和で見た夕焼け空、
地球影と夕焼け空のグラデーション、
あんな非現実的なくらいに美しい色を知ってしまうと、
ちょっとやそっとの美しさでは心がふるえない。

南極にしかなかった喜びと
ここにある喜びとは共存できない・・・
そんな気がする。

パースの街でゴミを蹴とばした。
そのゴミは、結局ゴミ箱に捨てることもしないまま通り過ぎてきた。
昭和ではそんなことしない。
ゴミが放置してあったら環境保全のM下さんK田さんが困るから、
片づける人の顔が浮かぶから、放ってはおけない。

昭和基地は小さな社会。
ほんの数十人で織り成す小さな社会。

大きな社会では、関わりあう人の顔が浮かばない。
結果、心無い行動を、悪気なく、あたりまえのようにとってしまっているかもしれない。

そんな些細なことが、
地球の本当の美しさを見えなくさせていってしまっているのかな…

本当の美しさに心ふるわせたことのない子供たちに、
伝えていけたらいいなぁ