Aブリ

6月1日は電波の日&気象記念日。

ウィキペディアによると、、、
電波の日とは、
1950年6月1日に電波三法(電波法・放送法・電波監理委員会設置法 )が施行されたことにちなみ、国民に対して電波利用に関する知識を普及啓発させる目的で、 1951年に電波監理委員会が電波記念日として制定。電波監理委員会は1952年に廃止され、電波行政を継承した郵政省が1954年、新たに電波の日として制定した。
だそう。

気象記念日とは、
1875年6月1日、東京・赤坂葵町に日本初の気象台である東京気象台(現在の気象庁)が設置され、東京で気象と地震の観測が開始されたことを記念し、中央気象台が1942年に制定した。
だそう。

昭和基地では毎年、気象隊員と通信隊員が中心となり、気象棟裏にできたドリフト(雪の吹きだまり)を利用したかまくらを作ったりして、この記念日のお祝いをする。
お昼ご飯の後、まずは食堂で記念式典が開かれた。

そして夜にはかまくらBARが開催される予定だったのだが、この日は夕方からブリザード(極地に見られる暴風雪)の予想が出ており、前日の夜、急遽かまくらBARプレオープンとなった。

超せまい入り口から、四つんばいもしくはノリノリのギタリストみたいな体勢でなんとか入店すると、中は尻もち状態で座ってギリ頭が天井にあたるくらいのサイズ感。
中での写真撮影困難な隠れ家感満点のBARだった。

そして、式典後にはビンゴ大会があり、「通信隊員と二人っきりでアンテナ島へアンテナ保守に行ける券」や「次のブリザード命名券」など豪華景品が用意されていた。
昭和基地ではブリザードに3つのランク分けをしている。

今回のブリザードは風速30m/s以上のAブリが見込まれていた。
式典後しばらくはまだ風もそんなに強くはなく、かまくらの中で何故がベンチプレス大会も行われた。

その後、予想通り風は急激に強まり、外の景色はみるみる真っ白。
ビューという風の音を通り越してゴーみたいな音が鳴り響く。
基地全体が微妙に揺れ、電車走りっぱなしの高架下の飲み屋みたい。
隊長からは外出禁止令が発令され、この高架下感は一晩中続いた。

翌朝になっても風は弱まらず、風速30m/sくらいを保っていた。
しかし気温をみるとかなり高いことにビックリする。
このところ−15度くらいの日が普通に続いていたのだけれど、ブリが来たとたんに気温は−5度くらいまで上昇している。

昭和基地の北に低気圧が来ると、暖かい北風をもたらすので急激に気温が上がるらしい。
なんだか、北半球に住んでいる人間にとっては違和感のある表現だらけだ。
北風=「冷たい空気」と思いがちだけど、ここ南半球では南の方に「冷たい空気」があって、北の方に「暖かい空気」がある。
考えればわかる話だけど、表現すると違和感タップリ。

外の気温が高くなるということで、基地の中の気温もいつも以上に高くなる。
めちゃめちゃ暑くて、夕飯の鍋食べながらTシャツ1枚でも汗だくだった。
涼みたくても、すんごい風なのでうるさくてドアも開けられないのだ。

外出禁止令発令中でほとんどの人間は管理棟という基地主要部にいたのだけれど、気象隊員だけは気象観測のため気象棟という建物にカンヅメ状態だった。
悪天が続くと気象棟に泊まり込んで観測を継続するそうだ。
しかし、この日は少し風が弱まったタイミングで外出禁止令を外出注意令に変更し、隊長とA田隊員が気象棟にいるS山隊員を迎えにいった。
外出禁止令発令中には外に出ることもできないのだが、外出注意令に変わると2人以上でライフロープをつければ移動できる。
そのお迎えの様子がこんなカンジ、、、↓


みるみる吹雪の中に消えていく二人、、、、
ほんと恐ろしい。

こんな恐ろしい猛吹雪の中、「あっつ〜」って言いながらTシャツ1枚でくつろげる昭和基地はホントすごいなぁって思う。