そもそも

わたしが理科教師になった理由は、
「中学校時代に習っていた理科の先生が大好きだったから」
というベタな理由。

その先生は、田向先生。通称タムタム。

タムタムの理科の授業がすごくわかりやすかったとか…
どんな実験をやって楽しかったとか…
そういう印象は全くといっていいほどない。

先生のイメージは、寡黙でイイ人。

タバコをやめられない生徒を指導するのに、自分もいっしょになって禁煙しておられたことを思い出す。そういう口だけじゃないところに一目置いていたし、この人のいうことはきかなきゃ…って素直に思える人だった。

先生のそんな人柄が大好きで、先生に認められたくって、理科をよく勉強したし、理科を好きになった。

中学校時代の私はかなりのヘンクツで、平和学習として戦争のビデオを道徳の時間に視聴し感想文を書くと、「こんなの見ても気持ち悪いだけ」なんて書いちゃう問題児だった。
正直な気持ちを書いたつもりだったし、『戦争はいけないと思います』なんて、大人が言ってほしそうなイカニモな答えを書くのが嫌という気持ちも多少はあった。
この危険人物を、当時の担任の先生は真剣に心配し親を学校に呼び出した。もちろん、ヘンクツ娘の一番の理解者であった母はきっぱりと「心配いりません。ウチの子は大丈夫です。」と言って帰ってきたらしい。

3年生になったとき、理科の授業中にタムタムが
“なぜ理科を勉強するのか?”
という問いかけをした。はっきりとは覚えていないけど、アンケートっぽい形式だったと思う。それらしい答え、当時の私にはキレイゴトに見える答えを書く子が多い中、私はあっさり「テストがあるから」とだけ書いてだした。

その日の放課後、他の友人数名といっしょにタムタムのいる理科室へ遊びに行った。
“なぜ理科を勉強するのか?”の答えに私が「テストがあるから」と書いたことについてタムタムは、「ホンマにそれだけやと思うか?ちがうと思うけどなぁ…」と、全否定することなく優しく語りかけた。特に明確な答えをもらったわけではない。なにより、当時の私にとっては本当にその答えがさっぱりわからなかった。テストでいい点とって、先生に認められればそれでよかった。


高校生になっても理科は好きだった。でも、英語についての興味も強く感じていたことから、理系に進むか文系に進むか、かなり迷っていた。
でも、でも、、、
そもそも…自分は何が好きで何になりたいと思っていたのか?と考えたとき、「タムタムみたいになりたかったんや」って思い返し理系に進む決心がついた。その選択は間違っていなかったと確信している。

わたしの“そもそも”を培ってくれた人がタムタムなのだ。



今日、「田向」という性の女性から届いた喪中ハガキ、
「夫が平成24年3月19日に永眠しました」
という文字に言葉を失う。


中学卒業以来ずっと毎年欠かさず先生に出していた年賀状には、
私が理科教師になったこと…結婚したこと…まだ子供は産んでいないこと…仕事にやりがいを感じていること…など、近況についても少しずつ書いてお知らせしていた。しかし、ここ数年、先生からの返事がなく心配をしていたところ。。。
今年の年賀状は昭和基地から出したため、届いたのは4月頃のはず。
ザンネンながら先生には見てもらえなかったよう…。
3月19日といえば、私が南極から帰国した日だ。
色んな意味で忘れられない日となった。


“なぜ理科を勉強するのか?”
今なら、わたしにもわかる気がします、先生・・・。