ふくしまについて考える〜その1〜

22日〜25日にかけ、サイエンスリーダーズキャンプ「放射線・放射能除染等の科学的理解を深める理科教員研修会」というものに参加していた。

いろんな場所へ、やはり実際に自分を置いて感じてみたい…
そんな思いが私は強い。
福島も、ぜひ自分の目で見ておきたい…
ずっと、そう思っていた。
ニュースや新聞、インターネットで見る感覚ばかりではなく、現地の空気感を知りたかった。

この研修会の内容は、様々な放射線に関する講義を受講できるほか、飯舘村や南相馬市を視察させてもらえるというものだったことから、迷うことなく応募した。そして、参加するチャンスを得られたことは本当にラッキーだった。

行ってよかった。

それが、率直な感想…。

原発事故によって被害を受けたその土地…、人々…、取り返しのつかないことが起こる現実というものを目の当たりにすると、本当に、今なお原発が続けられていることに対して疑問を感じずにはいられない。
それよりなにより、汚された土地、傷つけられた人々のケアが先じゃない?と思ってしまう。


現地視察があった研修2日目の様子について振り返る。

 福島のホテルをバスで出発し飯舘村へ向かう。バスの中では放射線量を計測する線量計が配布された。この機械で放射線量を計測しながらバスを進めていく。
 ただし、この機械に表示される数値そのままが、原発事故によって飛散した放射性物質による放射線量だけを測っていることにはならない。なぜかというと、放射線はもともと自然にも存在する。(宇宙から飛んで来ていたり、岩石からも出ていたり…)意外と色んなモノから出てるんだということは、7月に参加した近畿大学の原子炉実験研修会でも勉強させていただいた。そのもともとある量ってゆうのは場所によって違っているため(例えば、東日本と西日本では西日本の方が花崗岩地帯が多いため、もともとの自然放射線量は高い)、どれだけの量を差し引けばいいかがはっきりしない。
 今回は、そのもともとある自然放射線量も含めた値として数値を認識し、単に今日の移動場所による値の上がり下がりを見るという目的での計測だった。

福島市内で0.28マイクロシーベルト/hだった値は、飯舘村へ入ると上がりはじめた。

福島市内

飯舘村

 車窓からの景色は、一見すると草の生い茂る空き地にしか見えない風景だったが、バス内でお話しいただいた飯舘村の村長さんの話によると、すべて美しい田畑が広がっていたとのこと。
 のどかな田園風景が広がっていたことを知らない我々にも、その変わり果てた様子を切ない目で見ながら話して下さる村長さんの雰囲気から、今目の前にある風景とは違う昔の風景が想像できる。

 飯舘村では、全村避難という状況下、懸命に除染活動が行われている。土の上に飛散した放射性物質を取り除くため、表面を数cmはぎ取る作業だ。昼間はその除染作業のため人の姿がパラパラと見られる。しかし、夜になると人の気配も全くなくなるそう。みなさん、近隣で避難生活をしながら昼間は地元へ通い、昔の姿を取り戻すべく懸命に除染作業を続けている。
 その除染作業が行われている場所では、ガクンと線量計の値が下がっていた。

 昔から住んでいた愛する土地を勝手に汚され、本当に理不尽な思いでの作業だろう。連日の半端ない暑さの中、すっぽりと防護服に身を包み、その辛い作業は続けられている。しかし、その除染効果は確かにあるものだということが実感できた。

はぎ取った土を袋詰めしたもの

表層土の集まりは、やはり高い値を示す…

 問題は、はぎ取った土をドコへ持っていくか…。事故前にしろ、事故後にしろ、「ゲンパツ」の産物は、結局のところ処理しきれず、たらい回しにされるものなんだな…と思う。

 飯舘村の村長さんがおっしゃっていた。
「他の災害では人の力が結束します。ところが、この“放射能”は人と人との心を分断します。放射能の高い所の人と低い所の人、帰りたい人と帰りたくない人、夫と妻までも引き裂いていく」と・・・。
 確かに、大地震や台風被害などで、町や村がひとつになり復興のために支え合う姿というものは想像できる。しかし、あの空っぽの村を見ると、ひとつになることの難しさがうかがえた。

 少しでも早く除染活動が進み『ひとつになれる場所』が約束されれば…、その支援をもっと国レベルで行っていけば…、そう思った。

 南相馬市の小学校と高校へもおじゃました。こちらでの除染方法は、校庭の土を数cmはぎ取り、その土を2m掘った穴に埋めて処理しているとのことだった。はぎ取った土のかわりには、汚染されていない砂が敷き詰められていた。
 走ると足を取られてしまいそうな砂…。しかし、これしかなかったんですとのお話だった。
 校庭での放射線量は福島市内とそう変わりない値。放射線量が減ったとはいえ、正直なかなか使いづらそうな校庭だった。

 表面土のはぎ取り作業がされていない植え込みの土の上や、飛散した放射性物質をかぶったと考えられる大きな木の付近で測定すると、高い値が示される。

除染効果ははっきりあるモノなんだと実感できる。


福島原発から20km圏内にある小高区駅前通中心部の被害状況


放射線量はそんなに高い値は示していなかったが、20km圏内ということで4月まで立ち入ることができなかったことから、地震の爪痕がリアルに残る。


津波が押し寄せた老人介護施設ヨッシーランド


 建物の枠組みはしっかりと残されているが、ガラス窓などはすべてなくなり、人をすっぽりと飲み込む高さのラインに泥の後がくっきりと刻まれている。
 一瞬の出来事であったことが、その痕跡の激しさからよみとれる。そこにいるだけで、胸が詰まる空気感だった。

原町区小浜・太田川河口付近の津波被害


 ここでも放射線量は福島市内より低いくらいの値だったが、立ち入りが制限されたことから、津波の爪痕がいまでもこれだけ残っている。
 ○km圏内という単純な制限によって、復興が遅れることは非常にナンセンスだと実感した。